『日本最後の城がなぜ、北海道に?』松前城が日本最後の旧式城郭となった経緯を解説します。

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北海道にもたった一つだけ、があるってご存知ですか?

松前郡松前町という、道内でもかなり本州との距離が近い町に遺る松前城まつまえじょうです。

 

 

そして、ただでさえ北海道では珍しいこの城は、『日本最後の日本式城郭』でもあります。

今回の記事では長い日本式城郭の歴史の中で、この松前城が最後となったストーリー360°写真を楽しんでいただきながら解説したいと思います。

 

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松前藩にだけ許された、幕末期の新城築城

 

松前城
松前城

 

松前城が日本最後の日本式城郭となった理由をひとことで言うならば、『幕末期に松前藩にだけ新城築城が許可されたから』です。

 

近世の日本では、天守と呼ばれる高層建築物を中心とした戦のための拠点であるが、全国各地に普及しました。

そして慶長けいちょう5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後には、築城ラッシュとまでいわれるほどに新しい城が次々と築かれます。姫路城や熊本城、松江城はその時の城の一例です。

 

この画像はイメージです(写真AC様より)

 

一方で江戸時代が始まると、『一国一城令(一つの国には一つの城しか残せないという令)』や、その後の破城政策によって新しい城を築けない時代となっていきます。

 

そんな新城築城が行われない時代の中で、幕末期の日本はある脅威にさらされることとなりました。

 

この画像はイメージです(写真AC様より)

 

それは、北方における外国船の出没です。

 

南下するロシアをはじめとした外国の脅威が迫り来る中で、それに備えて海防を強化する必要がありました。

そのため、例外的ともいえる新城築城許可嘉永かえい2年(1849年)に北海道の松前藩にだけ出されたのです。

 

こうして松前城は、日本最後の日本式城郭として歴史的な価値をもつこととなりました。

 

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海への防備へ力を注いだ城郭というだけあって、このように非常に海と近い立地となっております。

海が見える松前城復元天守

 

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上記は松前城資料館の最上階の360°写真です。

昭和24年(1949年)に火事で焼失してしまった天守は昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリートで再建され、現在も資料館として用いられております。

 

 

天守の見どころは、津軽海峡を一望するこの最上階からの眺望。晴れた日に訪れるとしばらく離れられなくなります。

 

かつては防衛が必要な場所だったとはいえ、この海の美しさはいつの時代も変わらないことでしょう。

城主の松前氏はこの景色をどのような気持ちで眺めていたのだろうかと、思いをはせてしまいますね。

 

松前資料館内の展示物における町内出土の砲弾
町内出土の砲弾

 

また、資料館内では3フロアにわたって、松前城や松前藩にゆかりのあるものが展示されております。

写真は箱館戦争時の砲弾が松前町内から出土したものです。この他にも日本刀や書物、アイヌ関係の資料など、現物の展示が多い印象を受けました。

 

若干冗長な部分もありましたが、今回の記事では松前城が日本最後の日本式城郭となった経緯とその見どころをご紹介しました。

道南を訪れた際は、みなさまもぜひ足を運んでみてください。

 

本記事で使用した360度カメラ

ご参考までに、私が愛用している360度カメラをご紹介すると「RICHO THETA」というものです。

私は「THETA V」ですが、よりお手頃な「THETA SC2」、高機能な「THETA Z1」などのラインナップがあります。詳細はAmazonの商品紹介をご覧ください。

 

 

 

 

松前城資料館さま、ありがとうございました。お電話でお問合せしたところ、『資料館内部で撮影した写真をブログで使用するのは問題ない』とのご返答をいただきましたので、本記事に使用させていただきました。

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