
ここで地理のクイズです。
人口が日本一多い『市』はどこでしょう?
これは知っている方も多いと思いますが、答えは横浜市(神奈川県)で約370万人です。



次は、マニアックな問題。日本一人口が少ない『市』はどこでしょう?
答えは、北海道歌志内(うたしない)市です。
ピーク時には人口4万6千人を擁する立派な炭鉱都市として栄えた歌志内ですが、1950年代ごろから市内の炭鉱が次々と閉山したことで人口が急激に減少、
2020年現在は4000人を割り、全盛期の10分の1となってしまった、全国的にもまれな市です。
極端なものに興味を抱いてしまうのは、人間の性というもの。
そこで本記事では、そんな歌志内市を実際に訪れた筆者が感じたこと、街の方から聞いたお話を中心に、人口最少の市・歌志内がどんな場所かをご紹介したいと思います。
Google Map が使えない!?



いきなり衝撃的なタイトルで恐縮ですが、これは中心市街地での実話。
『Google Map』に載っているお店などの場所へ訪れると、歌志内ではすでに閉業していることが多々ありました。
もちろんこんなことは他の地方都市でもよくあることですが、ここでは中心部でもGoogle Mapが役に立たないことがあります。



歌志内に到着したのが昼下がりだったので、よくある飲食店のレビューをたよりに昼食をとろうと彷徨っていた私でしたが、
『ここのお店は、接客が素敵で…』『〇〇が名物で…』という平穏なレビューと、対照的に荒廃した今の姿を見比べると空腹をも忘れて、もの悲しさを覚えるのでした。
ちなみに余談ですが、セイコーマート 歌志内東光店は営業中でした(2019年時点)。探訪する方はここで食事を購入するのがお勧めです。
歌志内とスイスの意外な接点



しかし、断っておくと、歌志内市内にあるのは決して廃屋ばかりではありません。
写真のように三角の屋根が特徴的な集合住宅もあり、街歩きをしているとオシャレな一面が垣間見えます。
調べてみると、これは『歌志内スイスランド計画』の一環なのだそう。
なんでも、歌志内の景観はアルプス地方と似ているようで、そこに着想を得てスイス風の建築デザインのロッジを建設されたことを機に、
市内各地の公共施設や個人邸宅にもスイスをモチーフにしたデザインが取り入れられるようになったのです。
中心部にある歌志内公園の広場もこの通り。



街の記憶を次の世代へ



歌志内の歴史を語るうえで欠かせないのが、やはり『炭鉱』という要素。
市内の郷土資料館『ゆめつむぎ』では、充実した展示で炭鉱や歌志内の歴史を学ぶことが出来ます。
そして、この日の私には元炭鉱マンのガイドさんまでついていました。
実は、見慣れない若者(私)がウロウロしていたのが目立っていたようで、ご年配の市民の方からお声をかけられたのです。



歌志内に興味があるなら、案内してあげるよ。
このおじいちゃん、元は炭鉱マン、現在は市役所にお勤めの方ということで、とにかく街に関する知識が豊富でした。



この道具はこんな風に使ったんだ。
と、他の博物館なら有料級のガイドではないかというくらい、炭鉱夫の仕事や道具について貴重なご自身の経験を話してくださいました。
これは読者のみなさんが歌志内へ行かれても必ず経験できることではありませんが、観光客が少ない地域ならではのサービス精神は間違いなくあるといえます。



何なら、街の史跡を案内するよ。車に乗って。
もう、お言葉に甘えきりな私でしたが、せっかく歌志内について紹介していただいたのでその一部をこの記事にも記します。



これは、炭鉱で働く人のための安全祈願の像。
もともとは鉱山の近くに置かれていたようですが、閉山に伴って市の中心部に他の石碑などとともに集約されました。



そして、閉山となった炭坑の方面には今、何があるかと言うと…。



ご覧の通り、山肌しか見えません。ただ、ここへ来ても案内人の解説は止みません。



このあたりは住宅が並んでいた。そしてこのあたりは店があった。さらにこのあたりは学校が…



かつて炭鉱都市として栄えた歌志内。
案内人の瞳の奥には、栄華を誇った歌志内の記憶がありありと浮かんでいるのが私にも伝わりました。
この期に及んでは、人口最少の市に興味本位で来たことなど忘れていました。
次の世代である私にできることは、こうして先人の記憶を書き留めていくことなのです。
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